「価値観とか」に支えられて
先日 愛知淑徳大学で愛知県言語聴覚士会の第2回「コミュニケーション障害関連団体との出会いかい」がありました。私はウイリアムズ症候群の家族の会である「エルフィン中部」の代表として参加しました。
そこでは、招待を受けた九つの障害団体が、主に学生も含めたリハビリテーションスタッフ(ST,OT,PT)と一般参加の方々に、障害特性と団体の活動内容を紹介するというものでした。
症例の少ない障害を持つ子どもさんを持つお母さんからの相談
そのあとの交流会で、一人の若いお母さんから相談を受けました。
子どもさんがコフィン・シリス症候群という障害名で、今まで同じ障がいの方に会ったことがない。情報がないことによる不安、学校に行ったらいじめられるのではないかという心配、自分が受診している病院の医師より同じ障がいの方がいると聞き紹介してほしいとお願いしたが難しかった、といった内容でした。
過去の私自身の経験との重なりと、当時の感情と
私はそのお母さんの話を聞きながら自分と重ね合わせていました。
一気にその当時の感情が思い出されました。わが子がウイリアムズ症候群と診断名が分かっても情報がない。今から30年近く前のことで、インターネットで探すこともできなかった。どんな育て方をすればいいのか、どんなふうに生きていくのか、大人になるまで生きられるのか、私が死んだらどうなるのか等々分からないことばかりで、悲しみと不安で押しつぶされそうになっていた日々。
「価値観とか」という言葉の奥に
そのお母さんとそんな思いを共有した後、「自分たちは思い描いていた人生は送れなかった。でもね、わが子が障がい児だったからこそ得たものもあったよね。価値観とか。」その言葉を口にした途端にお母さんの目から涙がはらはらと落ちた。この「価値観とか」は、私たち障がいのある子を育てた親だけが共有できる「言葉」ではなく「感情」です。この「価値観とか」という言葉の奥には本当にたくさんの感情が詰まっているのです。
この「価値観とか」に支えられて、私は今この仕事をさせてもらっています。